2023年1月17日、巡るくる忘れられない時。
神戸で - 2023年01月17日 (火)
今回は、初めて、あの日のことをお話しさせていただきます。
1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒。
ド ー ン !!
なんだ、この下から突き上げる振動は・・・・寝ていましたが、このドーンの音を聞きながら目覚めました。
うおおおお、なんだ、なんだ、これは、なんだ、うおおおお・・・・
体が吹き飛ばされそうだ・・・・
ちょっと、ちょっと、やばいのか、これは、やばいのか・・・
部屋がきしむ、空間が震えている、
地震だ!、でも、なになに、この地震、ちょいいいヤバイ・・・
上下、左右、前後、なんだこれは・・・
えええ、窓が開いていく・・・・ これ、死ぬのか・・・死ぬのか・・(この時、窓に鍵をかけていませんでした、ちなみに鍵をかけていた窓は、ひび割れが・・・)
地震時に身を隠す、守ることも出来ませんでした。
ベッドの上で、身動き取れません、何も考える暇ありません。
本当に動くことも出来ずに、揺れが収まるまで、耐えただけです。
揺れている時間も長いのか短いのかそれも分からなかった・・・
そして、振動が治まり部屋を見ると、あら電気が点かない、停電か・・・
ジッポーのライターの火の明かりで見てみると
床に物が散乱しており、当時趣味で集めていた物も見事に落ちていた・・・・
これは、壊れているんだろうと思い、ため息も・・・
そして、1階から母親が兄を呼んでいました。
私も下に降りていくのですが、この状況で、何も情報が得られません、未知の世界です。
外は、まだ暗く・・・・まだ、6時前です。
懐中電灯で灯りをキープして、夜が明けるのを待ちます。
で、母がガスと水道を確認すると、この時点では使用出来ました。
なので、食事などは大丈夫でした。
そして、時間と共に、外から、警察車両、救急車、消防車のサイレンの音がどんどん聞こえてきます。
で、かなり明るくなったので、外にでて様子を確認すると、特にサイレンの音だけで家が倒れている等もなく・・・
後から分かったのは、家には無数のひび割れと、少しの傾き、立て付けの悪かったドアが地震後に閉まるようになり、
逆に閉まらなくなったドアもあります。
同じ神戸市でも垂水区でしたので、被害の大きさが違うのです。
ここで情報を得る方法を思いつきました、多分時間にして、7時半ぐらいか・・・
それは、車のラジオです。
そして、車のエンジンをかけて、ラジオをつけると・・・
驚きの言葉が飛び込んで来た・・・・・「阪神高速道路が倒れています・・・・・」
えええ、何それ、そんなことあるの・・・
すると、兄が仕事に行くので、車で出かけました。
20分後ぐらいで戻ってきました。
水道管が破裂して、道路が冠水している、道路がひび割れで車が立ち往生している・・・
それで、職場に行けずに戻ってきたのです。
兄と2人で、外を眺めていると、焼けた匂い・・・
兄が「誰がこんな日にたき火してんだ」と・・・・でも、それは、長田区の火災の匂いが風にながれてきたのです。
あの大規模火災ですので、垂水区まで匂いが流れてきても当然です。
そして、電気が突然復旧して、テレビを見ると・・・・
家族全員、言葉を失う・・・・沈黙・・・・・
本当に、阪神高速が倒れている、長田区は、火の嵐・・・・
すると、ガスが止まり、水も止まった・・・・
すると、電話がどんどん鳴り出し、親戚からの安否確認です。
そして、私は、職場や友人に連絡するのですが、電話は不通になるのです・・・・
他県からの連絡は可能だが、神戸市内、阪神間の連絡が出来ません。
この時に、自転車を使用して神戸市内、阪神間への移動を考えました。
しかし、余震、被害状況が不明で、もう少し情報を得てから活動すること決めました。
ちなみに、1月16日は、私は、三宮にいました。
当時集めていた物のお店です。
そのお店はビルの5階に入っており、その時に見た夕日が・・・・
不思議な黒い雲、夕日なのに薄暗く、なんとも不思議な風景でした。
夕日の陽を閉ざすような空・・・
あの夕日は、忘れることが出来ません・・・・
なんで、あの夕日と同じ夕日を見たら、また、大事地震が発生すると確信しております。
なので、永遠に見たくありません。
私の知り合いも亡くなりました。
私も会社が倒壊して、仕事を失いました。
でも、生きているからこそ、次を目指すことが出来ました。
皆様へ、津波警報、津波注意報が発令されましたら、速やかに高台に避難しましょう。
津波に見学に行くような行為はやめて下さい。
また、めぐり遭う、この日・・・・・鎮魂の日・・・・




1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒。
ド ー ン !!
なんだ、この下から突き上げる振動は・・・・寝ていましたが、このドーンの音を聞きながら目覚めました。
うおおおお、なんだ、なんだ、これは、なんだ、うおおおお・・・・
体が吹き飛ばされそうだ・・・・
ちょっと、ちょっと、やばいのか、これは、やばいのか・・・
部屋がきしむ、空間が震えている、
地震だ!、でも、なになに、この地震、ちょいいいヤバイ・・・
上下、左右、前後、なんだこれは・・・
えええ、窓が開いていく・・・・ これ、死ぬのか・・・死ぬのか・・(この時、窓に鍵をかけていませんでした、ちなみに鍵をかけていた窓は、ひび割れが・・・)
地震時に身を隠す、守ることも出来ませんでした。
ベッドの上で、身動き取れません、何も考える暇ありません。
本当に動くことも出来ずに、揺れが収まるまで、耐えただけです。
揺れている時間も長いのか短いのかそれも分からなかった・・・
そして、振動が治まり部屋を見ると、あら電気が点かない、停電か・・・
ジッポーのライターの火の明かりで見てみると
床に物が散乱しており、当時趣味で集めていた物も見事に落ちていた・・・・
これは、壊れているんだろうと思い、ため息も・・・
そして、1階から母親が兄を呼んでいました。
私も下に降りていくのですが、この状況で、何も情報が得られません、未知の世界です。
外は、まだ暗く・・・・まだ、6時前です。
懐中電灯で灯りをキープして、夜が明けるのを待ちます。
で、母がガスと水道を確認すると、この時点では使用出来ました。
なので、食事などは大丈夫でした。
そして、時間と共に、外から、警察車両、救急車、消防車のサイレンの音がどんどん聞こえてきます。
で、かなり明るくなったので、外にでて様子を確認すると、特にサイレンの音だけで家が倒れている等もなく・・・
後から分かったのは、家には無数のひび割れと、少しの傾き、立て付けの悪かったドアが地震後に閉まるようになり、
逆に閉まらなくなったドアもあります。
同じ神戸市でも垂水区でしたので、被害の大きさが違うのです。
ここで情報を得る方法を思いつきました、多分時間にして、7時半ぐらいか・・・
それは、車のラジオです。
そして、車のエンジンをかけて、ラジオをつけると・・・
驚きの言葉が飛び込んで来た・・・・・「阪神高速道路が倒れています・・・・・」
えええ、何それ、そんなことあるの・・・
すると、兄が仕事に行くので、車で出かけました。
20分後ぐらいで戻ってきました。
水道管が破裂して、道路が冠水している、道路がひび割れで車が立ち往生している・・・
それで、職場に行けずに戻ってきたのです。
兄と2人で、外を眺めていると、焼けた匂い・・・
兄が「誰がこんな日にたき火してんだ」と・・・・でも、それは、長田区の火災の匂いが風にながれてきたのです。
あの大規模火災ですので、垂水区まで匂いが流れてきても当然です。
そして、電気が突然復旧して、テレビを見ると・・・・
家族全員、言葉を失う・・・・沈黙・・・・・
本当に、阪神高速が倒れている、長田区は、火の嵐・・・・
すると、ガスが止まり、水も止まった・・・・
すると、電話がどんどん鳴り出し、親戚からの安否確認です。
そして、私は、職場や友人に連絡するのですが、電話は不通になるのです・・・・
他県からの連絡は可能だが、神戸市内、阪神間の連絡が出来ません。
この時に、自転車を使用して神戸市内、阪神間への移動を考えました。
しかし、余震、被害状況が不明で、もう少し情報を得てから活動すること決めました。
ちなみに、1月16日は、私は、三宮にいました。
当時集めていた物のお店です。
そのお店はビルの5階に入っており、その時に見た夕日が・・・・
不思議な黒い雲、夕日なのに薄暗く、なんとも不思議な風景でした。
夕日の陽を閉ざすような空・・・
あの夕日は、忘れることが出来ません・・・・
なんで、あの夕日と同じ夕日を見たら、また、大事地震が発生すると確信しております。
なので、永遠に見たくありません。
私の知り合いも亡くなりました。
私も会社が倒壊して、仕事を失いました。
でも、生きているからこそ、次を目指すことが出来ました。
皆様へ、津波警報、津波注意報が発令されましたら、速やかに高台に避難しましょう。
津波に見学に行くような行為はやめて下さい。
また、めぐり遭う、この日・・・・・鎮魂の日・・・・




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